福祉の手すりテスリックス

■錦帯橋の姉妹橋縁組と『錦帯橋学』

■はじめに
 驚きの21世紀の幕開けであった。崩れ落ちる摩天楼をテレビで眺めていた、しかし次の情報は日本のどのニュースよりも早く、アメリカの知人がメールで同時多発テロだと知らせてきた。今、情報の架け橋は地球を縦横無尽に掛け渡っている。
 1673年の秋、忽然と現れた岩国の『錦帯橋』は、人類史上で最も美しいアーチ橋と思う。200メートル隔たった錦見地区と横山地区を結ぶ歴史的な架け橋の誕生が、今から約330年前であることを考えるとき、私は様々な思いをめぐらさざるおえない。しかも電気もクレーンもない時代に、着工からわずか三ヶ月で橋台を含め全てが完成させられた。そんな激しい情熱で創られた『錦帯橋』に縁深い橋がお隣の中国にある。それが私の心を激しく揺さぶった。

■84歳先輩の『錦帯橋』
 岩国の『錦帯橋』が創建される実に84年前の1589年に中華人民共和国の浙江省杭州市西湖の白堤に『錦帯橋』と命名された橋が架けられた。橋の姿形は岩国の『錦帯橋』とは異なっているが、名前は『錦帯橋』である。
 この事実は、岩国を度々訪れた僧侶の独立によって吉川広嘉公に伝えられたものと確信する。『錦帯橋』と言う名称が岩国ではいつ付けられたか定かでないと言うことになっているが、聡明なる吉川広嘉公の心には『錦帯橋』が最適の名称であるとの思いは十分あったと考えられる。

■世界遺産を凌駕する『錦帯橋』
 そもそも日本の多くの文化や技術は、隣国や欧米のそれらの導入と触発によって進展してきた。しかし、江戸時代においてただ単に物まねではなく全く独自の研究と開発的精神で作られた物の中でも代表的なものが『錦帯橋』である
 同時代の世界を見渡して、用途と美しさのどの点で見ても比類のない『錦帯橋』は、まさに世界遺産にも匹敵する、いや凌駕する文化遺産と認識しているが、なぜかこれを認識しておられない方が多いようである。
 理由は色々あるが『錦帯橋』の創建にまつわる記録が極めて少ないのも影響していると思う。また今日『錦帯橋』の学術的意義をとらえた文献も少ないことも一因である。中には『錦帯橋』の構造的認識について誤解がまかりとおっていることも大きな要因であろう。

■『錦帯橋学』のすすめ
 人々は『錦帯橋』を木組みと表現しているが、それは『錦帯橋』の構造の真実を伝えていない。『錦帯橋』の橋体は木と鉄(詳細には鋼)のハイブリッド構造である。すなわち木組みではなく、木と鉄組である。かつて私たちは小冊子『錦帯橋再発見』で『錦帯橋』のことを橋台まで含めて『木と石と鉄の芸術』と表現した。
 330年以上も前、大陸との文化技術交流の架け橋となった僧侶の独立と吉川広嘉公との情報交換のさらなる研究や、児玉九郎右衛門をはじめとする当時の岩国の技術者集団の活躍の真相をじっくりと研究する時期に来ている。
 曖昧な解釈は排除し21世紀の岩国に『錦帯橋学』を起こすことを提唱する。匠の技と心の力があって初めて完成された『錦帯橋』である。さらに絶え間ざる工夫と改良の歴史が『錦帯橋』の根底に流れる精神である。
 人間の活動として最も大切な技術の創造的伝承の象徴が『錦帯橋』である。
質の良い技術の冷凍保存のみが尊いのではなく、脈々と生き続け造り替え、架け替えて来た『錦帯橋』こそ世界遺産である。このような人間の活動を学ぶ学問を『錦帯橋学』と定義し、今の世界と、日本に高らかに伝えたい。

■平成の架け替え
 平成の架け替えで私たちは何をすべきであろうか、様々な取り組みをしなければならないと思う。多くの課題からあえて発言すれば、幾多の伝承の陰に埋もれ、矛盾をはらんでしまったと考えられる『錦帯橋』の姿を分析し、真の姿を取り戻すことである。児玉九郎右衛門らが当初描いた真の『錦帯橋』に一刻も早く戻すことであ
る。
 さらに、今だからこそ出来る新技術の創造である。平成の架け替えに従事した者全てがそれぞれに後世に誇れる技術の創造的伝承をしたいものである。

■おわりに 『錦帯橋』姉妹橋縁組の促進
 とりとめもないことを述べてきたが、中国の杭州市の『錦帯橋』との姉妹橋縁組についてはその請願が岩国市議会の皆様方の全会一致の決議を頂いている。当局の一刻も早いご理解を切望しペンを置くことにする。


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