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錦帯橋と私

松屋産業株式会社

代表取締役 松塚展門

 

■はじめに

 自称『錦帯橋の営業マン』の私にとって『錦帯橋と私』という小論をしたためる機会を与えられ光栄である。自らが美しくかつ四季折々の周辺自然景観にマッチし、世にも希な伝承的、文化的、知的財産である錦帯橋を、もっともっと岩国の人々は誇りに思っていただきたいと思う。そして、この偉大な錦帯橋と、これを創建した人々のことを、日本はもとより世界の人々に、もっともっと知っていただけるように、努力すべきだと思う。どんな些細なことでも錦帯橋のためなら、市民が一致団結して取り組める風土と文化の創生が今求められている。

 

■錦帯橋との出会い

 私が錦帯橋を初めて強く意識したのは、おそらく、小学校の頃、写生大会で錦帯橋を眺めそれを描いたときが最初であろう。いつしか、錦帯橋の様な構造物や建物に強く魅せられるようになり、ついに、小学校の卒業記念文集『巣立』(1963年3月麻里布小学校6年1組)に次のように書いている。

 『ぼくは工作がすきだ。だから工学博士になり、進んだやりかたで建物を作りたい。』人生の目標設定としては、かなり早い時期での決断である。さらに、今日でも私は、当時の幼い日の夢を追い続けていることに気付くと共にそれを誇りに思っている。もっとも、当時、私の父の営む会社が製材業であったことや、その後、父が建設業へ業種転換しており、私の育った環境もおおいに影響しているとも思う。

 今日、こうして故郷に帰り生業を続けるとき、なぜか錦帯橋のことがいつも気にかかるようになったが、少年時代の強い印象が今の私に影響し続けているのであろうか。

 

■錦帯橋の創建のドラマ

 錦帯橋創建の物語はNHKテレビの大河ドラマにも匹敵すると思う。そのドラマのスタートは、美しい錦川の風景からと言うことになるが、天候は快晴からやがて曇りになり、小雨となって後、大雨になり、大洪水の錦川が荒れ狂い錦帯橋創建以前の橋を容赦なく飲み込んでしまう、という激しいカットが想定される。

 いつの世も大自然に立ち向かう人間の姿はあまりにも小さく、か細いものである。しかし、人類に降りかかるあらゆる困難は、人類特有の果敢なチャレンジ精神と技術的創造力さらには、必ず実現すると言う確固たる夢で、これを克服してきた。そして、そこには、強い絆で結ばれた熱い人間の集団が必ず存在する。

 錦帯橋創建のドラマは関ヶ原の戦いの後、優秀な多くの人材が岩国という小さな街に移封されたことに端を発する。1673年の錦帯橋創建当時、岩国の人的資源は日本全国のどの地域と比較しても抜群の状況であったことは疑う余地がない。若き技術者に託された架橋の大きな夢と期待は見事大成されるが、それを、信じ支え続けたスタッフとトップリーダーの人間模様はNHKテレビの大河ドラマの格好のテーマだといえる。

 

■中国の錦帯橋

 上海に近い浙江省杭州市に錦帯橋と命名された橋が今日も存在する。最初に命名された時代は明の万歴17年(1589年)というから、岩国の錦帯橋創建を遡ること実に84年である。

 錦帯橋のルーツが中国にあると聴けば、いてもたってもおられなくなる性分で、中国の杭州へは何度も足を運ぶことになった。岩国市長の親書を携え初めて訪れた杭州市の印象は、今でも明確に覚えている。それまで、全く手がかりのなかった杭州市人民政府の熱烈歓迎は後のアジア大会の公式文化イベントの開催へと繋がっていった。

 マイクロバスで案内された錦帯橋は岩国の錦帯橋とは姿形は全く異にしているが、欄干にくっきりと刻まれた錦帯橋の文字を読みとり、さらに現地の地図に錦帯橋と明記されているのを発見すると、これはただ事ではないと直感した。   吉川広嘉公と僧、独立との『西湖志』を通じてのエピソードは大変有名であるが、中国に錦帯橋と命名された橋が岩国の錦帯橋創建以前に架かっていたことをもっと多くの人に知っていただきたいと思う。錦帯橋は日中両国の交際交流の証なのである。

 

■バーチャルリアリティーと錦帯橋

 錦帯橋を創建した人々と今日では、バーチャルな世界で時を越えて対話が出来るようにまでなった。いささか、オーバーな表現と思われるかもしれないが、事実である。児玉九郎右衛門の熱い叫びを正しく受け止めたいものである。木と石と鉄の芸術である錦帯橋の創建物語はバーチャルトーキングによってかなりの情報が収得できた。

 さらに、創建当時の錦帯橋を再現し江戸時代の岩国に皆様方をご案内できる、と言うとどのように思われるであろうか。著しいコンピュータの進展がこのようなことを可能にさせてくれる。技術の創造と伝承をテーマにした、弊社創立50周年記念『錦帯橋展』でも公開させていただいたが、創建当時のコンピュータグラフィックスは、私たちを一気に江戸時代に引き込んで行く。お城山の樹木は今日の景観とは全く違う、錦帯橋だけがやけに目立つ江戸時代の錦帯橋周辺の風景に人々は驚嘆する。バーチャルリアリティーは今後、錦帯橋の全ての歴史をよみがえらせることが出来るであろう。

 

■建築学から錦帯橋を見る

 錦帯橋はもちろん橋であるから一般の学問的分野からすると土木工学の範疇に入る。しかし、この橋の架橋にとって重要な問題である設計学、生産学、施工学、構造学等々、さらには雨仕舞(あまじまい)学(このような学問も必要)の様な周辺技術の分野の学問をも考慮すると、むしろ建築学の範疇から論じた方が良いのかもしれない。

 当時の技術者を彼らが建築家であったか、土木家であったかを論じるのが主題ではないので、ここでは一般的に技術者と呼ぶことにする。とにかく彼等は並の技術者でないことは明らかである。

 錦帯橋の架構技術と今日の木造によるアーチ構築技術を比較するために、木造ドーム建築を見るとき、錦帯橋の架構技術は1673年に、もはや今日の技術レベルを取得していたと言っても過言ではない。いや、今日の技術より相対的には群を抜くほど世界のトップレベルであったことがわかる。当時の進んだ構造物はその多くが石造であり、世界を見渡したとき木構造を主体とした架構の技術はこの錦帯橋が世界の頂点であった。

 当時の技術者たちは、流れない橋を創建するために、多くを見聞したであろうが錦帯橋を類推させる資料は、当時全くなかったはずである。児玉九郎右衛門を中心とする岩国の技術者たちの輝ける独創性が錦帯橋を誕生させたとしか言いようがない。

 

■創建当時の錦帯橋は揺れた

 児玉九郎右衛門は錦帯橋の創建にあたり、橋体部分の設計施工の責任者としてその名を後世に残した偉大な技術者である。その児玉九郎右衛門と話ができたのでその一端を報告する。

(1)創建当時の錦帯橋は大変揺れました。私の実験と計算では力学的には十分頑丈なのですが、2橋3橋と渡って行き、アーチの中腹にさしかかると決まって揺れはじめ、冷や汗ものでした。それでも、揺れのために落橋する事はありませんでしたがずいぶん悩みました。思案の末ようやく延宝6年(1678年)例の鞍木と肋木で補強すると何とか揺れも収まりました。それでも若干は揺れていますが、もう気になりません。それは皆様方もおわかりですね。

(2)錦帯橋は木の角材と鉄の帯材(巻金)と同じく鉄の線材(釘、かすがい)と石で造ったもので、世界でも例のない構築物です。特に、角材を数本上下に束ねそれを頑丈な巻金で巻き、十分釘で固めて組み立てアーチを造りました。これが錦帯橋の成功の秘訣です。どうか皆さん、木材だけでは錦帯橋はできないんですよ。間違っても、全く釘を使っていない、などと言う真っ赤な嘘はつかないで下さいね。

(3)錦帯橋の下から見える5本の大きな組み立てアーチが出来れば、あとはそれが前後左右上下に動いたり倒れないようにいろいろな部材で補強しているだけですが、それは現代の技術と同じです。

 皆さん以上のメッセージいかがですか。

 

■錦帯橋の知名度

 ところで、岩国の人々の多くは、錦帯橋は世の中の誰もが、よく知っておられると、思っている。私は旅や仕事で出張すると必ずと言っていいほど現地の人々との会話の中に錦帯橋の話題を意識的に出す。さすが、山口県の近隣の県では確かに高い確率で錦帯橋は有名である。しかし、岩国を次第に離れるに従って、その知名度は、ほぼ岩国からの距離に反比例して減少していることに気付く。東北や北海道ではその知名度が一、二割ではないかと不安に思うことも、しばしばである。

 もっとも、私たちも日本各地の名所旧跡の認識度はとても低い。しかし、遠く離れていても富士山や上野の西郷さん、札幌の時計台等々は、かなり高い知名度だと思われる。これら著名と思われるものと直接錦帯橋を比較する事の是非はともかく、錦帯橋もそれぐらい知名度が高くなると岩国にとってはすばらしいことだと思っているがいかがだろうか。皆一緒になって、錦帯橋の知名度向上に努めたい。

 

■『岩国錦帯橋』という歌

岩国錦帯橋

錦の流れ 水澄みうらら

瀬戸の渚へ 夢運ぶ

清流つきぬ 源の

便り待ちます

錦帯橋

私の岩国 みんなの岩国

錦帯橋

明日に向い 大きなこころ

いにしえ人の 夢たぎる

岩国藩の 誇りとて

架けし偉大な

錦帯橋

私の岩国 みんなの岩国

錦帯橋

匠みの技と 心の力

熱き情熱 受け継ぎて

伝へし橋の 美しさ

世界の人へ

錦帯橋

私の岩国 みんなの岩国

錦帯橋

 

 いささか手前味噌になるが、『岩国錦帯橋』という歌を自ら作詞作曲をした。

錦帯橋の美しさ、錦帯橋を創建した先人の偉大さ、それを受け継ぎ江戸初期から今日に伝えた偉大な事実、そして、これを世界の人々に伝えたい、というあつい情熱等々を盛り込んだ歌である。

 幼い頃、歌は世につれ、世は歌につれと度々聞いた。確かに歌は人々の心の変遷を的確に捉えながら進化し、今日でも、人間には欠くことの出来ない文化的ツールとなっている。錦帯橋の美しさ偉大さ等々、あつい情熱を人々の心に刻み続けることの出来るツールの一つとして、どうしても錦帯橋の歌が必要になった。

 あたりを見渡しても錦帯橋の歌はそんなに沢山は存在しない。また先に示した、あつい情熱等々を盛り込んだ歌は残念ながら、この世の中には存在しなかった。世の中にないものは創らなければならない、という私の信条に沿って作詞作曲にかかった。皆様方に愛唱していただけることを切望するし、もっともっと多くの歌が創作されることを願っている。

 一つ旋律を創ると人的ネットワークで輪が広がり、琴と尺八による邦楽の編曲も完成された。こうして、さらに大きな錦帯橋の輪が出来て欲しい。

 

 

 

■ポップアップ錦帯橋

 かれこれ10年になろうか、やはり錦帯橋をもっともっと多くの人々に知っていただきたいと思い、あれこれと思考実験を繰り返す内に、ふと浮かんだアイデアが、錦帯橋を立体的にペーパークラフトにすることであった。ポップアップメッセージカードとして今日では様々なアイテムを世に送り出している。

 毎年数千枚の錦帯橋のポップアップメッセージカードが多くの人々の手元に届けられているが、これが実に効果的である。先日も鵜飼い船に乗り鵜飼いを楽しんでいると、岩国へは初めてとおっしゃる大阪の方と沖縄の方、さらには岩国で教師をされている英国や米国の方々に出会った、色々世間話をしているうちに錦帯橋のポップアップメッセージカードをプレゼントすると大変喜ばれた。小さな国際親善にもなった。

 写真の錦帯橋もすばらしいが、立体の錦帯橋をそのままのイメージで伝えることの出来るこのポップアップ錦帯橋を、もっともっと多くの皆様方に利用していただきたい。私の夢は、錦帯橋の渡橋券がこのポップアップ錦帯橋になることである。

 

■インターネットと錦帯橋

 現在の様にインターネット社会になると錦帯橋に関する全ての情報は、インターネットのホームページに整えておきたい。公的私的を問わず、とにかく錦帯橋の現存する全ての情報は、リンクされた一団として錦帯橋ホームページに納める必要がある。現在私は錦帯橋再発見のホームページ

(http://www.028028.com/kintaisai.htm)を開設しているが、なかなか評判が良い。インターネットには多くの検索システムがあるが、キーワードを錦帯橋と入力していただけると、このホームページにたどり着ける様になっている。インターネットは世界に通じている、英知を結集して錦帯橋のPRにつとめたい。

 

■錦帯橋の世界遺産戦略

 錦帯橋の価値は一言で言うと、世界的な技術の創造とその技術を向上させながらのたゆまざる伝承である。しかも、その伝承は326年の永きに渡り営々と続き、今日なお向上心に燃えている、と言うことである。

 確かに、過去の優れた建造物が、今日そのままの形で残っていることを絶賛する一つのシステムを、否定しようとするものでは決してないが、保存性能の観点から見ると、木材が直接風雨にさらされる錦帯橋の場合は極めて大きなハンディーがある。

 世界遺産の審査基準は、所詮人類が決めたことであり、その基準の見直しが人類にとって有意義であり、かつ今後の人類のためになることであれば、進んで見直すべきだと考える。今日のように、技術の改革、技術の創造が叫ばれているとき、錦帯橋は格好の材料である。アメリカはライト兄弟の実物の飛行機を大切にし、航空機産業の世界的覇者としての原点を明確化している。

 各国の大空間建築物の建造技術は、現在世界でしのぎを削っているが、その原点が錦帯橋にあることを今一度思い起こし、錦帯橋をぜひ世界遺産にしたいものである。

 

■錦帯橋架け替えと錦帯橋博物館

 今日錦帯橋の架け替え問題が注目されている。健全な錦帯橋が5橋一度に架け替えられるのは、錦帯橋の歴史始まって以来のことである。とにかく今回の架け替えが無事に進むことを念じている。

 未来を見つめ、私は錦帯橋の架け替えと、錦帯橋のPR、学習、技術の改革、技術の伝承、材木の調達、等々を全て考えあわせ、とっておきのアイデアにたどり着いた。それが、錦帯橋博物館である。その概要をまとめておく。

(1)実物の錦帯橋がすっぽりと収まる空間を持った建築物を錦帯橋博物館とする。

(2)その中で、40?50年かけて実物の錦帯橋をつくる。特に橋体部を創ることに重点を置く。

(3)材料の調達と乾燥は十分吟味して行うことが出来る。

(4)架橋の一部始終を一般に公開し観光と学習に供する。

(5)万が一錦川の錦帯橋に災害や故障が起きたときには、博物館の錦帯橋のその当該部分を解体し現地の復旧をする。

(6)当然過去の錦帯橋の博物的資料は全て取りそろえ保管、展示する。

 皆さん、いかがお思いであろうか、必要なのは人々の決断である。私はこの博物館は国立博物館に出来ると思っている。日本が技術立国を今でも目指すなら、実現するはずである。

 

■おわりに

 とりとめもない、文章になった。各項目ともいささか消化不良ぎみであり、メドレー式のカラオケみたいな感がする。しかし、大切なところは十分網羅しており満足である。これを契機に皆さんと、もっともっと錦帯橋についてお話しをしたい。錦帯橋に感謝!!

 

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