大学一揆
各人各説
忙しい大学人
日下部 治
クサカベ オサム
大学人は今大忙しである。忙しさの原因はいわゆる「大学改革」の進行である。その中 身は主に3点にあると思う。「大学の大衆化」、「大学院重点化」そして「大学の評価と 開放性」である。
18歳人口の4割以上が大学への進学をしているという現在の大学は入学生に対して学問への動機付けを必要とするまでに「大衆化」している。そして大衆化した大学では従来からの「専門教育」への偏重から全学教官からなる「教養教育」への重点 的移行が叫ばれている。
大学人は現在「専門教育」と等しく「教養教育」の担い手として 期待されている。この「教養教育」が「専門教育」と統合される方向性を、教育の専門家は「エリート高等教育から大衆高等教育への移行を決意したことを意味する点で画期的で ある」と評している。しかし、大学人への教育負担増と大学卒業の意味の質的変化との側 面は拭えない。
「大学院の重点化政策」は我が国が科学技術立国として存続していくために戦略的に必要であると説かれ、教育行政における経済的合理性、効率重視の視点が色濃い。それに伴い大学人は基礎研究を重視した大学院組織の改革構想作成とその学内合意形 成に追われ、同時に研究設備の重点的投資のための各種の申請作文に追われる。当然、大学院定員増による大学人の指導負担も増す。「大学の評価と開放性」にも忙しい。大学人 が教育や社会サービスに対する幅広く調和のとれた役割を遂行することが期待されはじめ たといわれる。また税金を使って何をしているかとの問いに納税者にしっかり答えなけれ ばならない。アカンタビリテイ−の要求である。そのため「自己評価」の山を作る。このような忙しさは大学人を疲弊させ本来の役割であるはずの教育目標さえ見失いかねない程 である。
教育の目標は「知の伝承」、「知の享受」、「知の創造」の3つの集約されると思う。 「知の伝承」の内容と対象は、科学技術の発達と情報の国際化に比例して更新・増大する 特性を持ち、近年この傾向は著しく他の教育目標である「知の享受」と「知の創造」を圧 迫している。これは更なる知的集積過程を阻害する方向に作用して、高等教育機関の過度 の「知の伝承」への偏重は教育理念そのものを崩壊させ、望ましくない影響が上流教育機 関に伝播する。大学をはじめとする高等教育機関の役割が「知の創造」を担うことにある ならば、思考の喜びや知的議論の蓄積などの「知の享受」の体験が自由でかつ豊かに育ま れる環境が必須である。特に科学技術分野は伝承に止まらず現在の知を乗り越える探求こ そ神髄である。であるからこそ、大学教育の場においては精神的にも時間的にも知的自由 が保証された環境で基礎力と創造性の育成が強く要求されるはずである。しかし現在急速 に進展する学問の学際化、総合化、深化、巨大化は、大学教育での「知の創造」への参画 が極めて困難な状況を生み出している。さらにこの「大学改革」である。時間的ゆとりの 欠如したところには、華々しく掲げられる創造性や知的自立は望むべくもない。
60年前に東京大学の山口昇先生が書かれた「学・人・旅・山」と題する随想に、「 今日の帝国大学工学部の教育というものはひどく職業教育に偏している…工業教育と雖も いやしくも最高学府であるからには単に枝葉の技術を授けてすぐに役立つ便利主義の教育 を目標としていたのでは始まらないと思う。今日の工科大学の教育課程を見るとひどく羅 列的である。…それよりも正しい学問に尊敬しこれに対して真率なる憧憬心を起こさしめ ることの方が適切であり重要であると思うのである。」との一文がある。これを読みなが ら、今の大忙しの「大学改革」の後に豊かな思索の時間と「知の享受」と「知の創造」が 待ち受けているのであろうかとふと疑問に思う。