毛利元就年表
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日本史年表 |
1497
(明応6) |
毛利弘元の二男として、吉田の郡山城(広島県吉田町)で生まる |
1467
(応仁元) |
応仁の乱起こる |
1517
(永正14) |
有田城合戦(元就、初陣)で佐東銀山城武田元繁に勝つ。この頃、小倉山城吉川国経の娘をめとる |
1468
(応仁2) |
京都の公家が、応仁の乱を避けて山口など地方へ移る |
1523
(大永3) |
長男隆元誕生。元就、毛利の家をつぐ |
1483
(文明15) |
将軍・足利義政、勘合船を明に送り、銅銭を求める |
1525
(大永5) |
尼子との同盟を解消し、大内義興に従う |
1503
(文亀3) |
足利幕府、李氏朝鮮に通信符を送る |
1530
(享禄3) |
次男元春誕生 |
1523
(大永3) |
この頃、山口、小田原などの城下町が大いに繁栄した。大内氏は石見銀山の発掘・貿易で富み、京都から公卿や職人が多数、山口に来る |
1533
(天文2) |
三男隆景誕生。五龍城主宍戸元源と和約 |
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1537
(天文6) |
長男隆元を人質として大内氏に送る |
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1540
(天文9) |
尼子氏備後路より侵入(第一次郡山城攻め)。9月、再び尼子晴久石見路より侵入、郡山城を囲む(第二次郡山城攻め) |
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1542
(天文11) |
大内義隆の軍と一緒に出雲遠征に向かう |
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1543
(天文12) |
尼子軍の反撃にあい、大内軍撤退。元就も石見路より退く(七騎落ち) |
1543
(天文12) |
種子島に鉄砲が伝わる |
1544
(天文13) |
隆景、竹原小早川氏をつぎ、竹原入城 |
1544
(天文13) |
尼子晴久、山陰を従え、威をふるう |
1545
(天文14) |
元就夫人、病没(法号は成室妙玖) |
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1546
(天文15) |
家督を隆元に譲る |
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1547
(天文16) |
二男元春、吉川氏と養子の約束が成立 |
1549
(天文18) |
フランシスコ・サビエル鹿児島、平戸、山口、京都に来て、キリスト教を伝える |
1549
(天文18) |
元就、元春、隆景を伴い山口にて、大内義隆に謁見する。 |
1551
(天文20) |
サビエル、山口を再訪。大内義隆、陶晴賢に攻められ自刃 |
1553
(天文22) |
隆元の長男幸鶴丸、郡山城で誕生(後の毛利輝元) |
1553
(天文22) |
上杉謙信、武田信玄と川中島に戦う |
1555
(弘治元) |
厳島合戦で陶晴賢に勝つ(陶晴賢は自刃) |
1560
(永禄3) |
織田信長、桶狭間の戦いで今川義元を破る |
1557
(弘治3) |
沼城を落とす。若山城を攻める。防府天満宮大専坊に本陣を移す。旦山城を落とす。勝栄寺で三子に教訓状を書く |
1568
(永禄11) |
織田信長、足利義昭を奉じて、京都に入る |
1562
(永禄5) |
出雲に兵を進め、尼子氏の本城月山富田城を包囲する |
1573
(天正元) |
室町幕府滅ぶ |
1566
(永禄9) |
尼子義久兄弟、毛利軍に降伏し、月山富田城を開城 |
1576
(天正4) |
織田信長、安土城に入る |
1571
(元亀2) |
元就軍山城で死去(75歳) |
1585
(天正13) |
羽柴秀吉、関白となる(翌年、太政大臣) |
1589
(天正17) |
毛利輝元、太田川河口に広島城築城を始める |
1590
(天正18) |
秀吉全国を統一 |
1600
(慶長5) |
関ヶ原合戦で、徳川家康の東軍が圧勝。輝元は防長二カ国に移封される |
1600
(慶長5) |
関ヶ原合戦 |
1604
(慶長9) |
輝元、萩に入府 |
1603
(慶長8) |
徳川家康征夷大将軍となり徳川幕府を開く |
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1615
(元和元年) |
大阪夏の陣 |
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