「天下を望むなかれ」

わずか300貫の城主から、一躍中国地方の大大名になった元就の遺言は「天下を望むなかれ」だった。ところが、孫の輝元は彼の遺言に背き、天下取りという淡い野望を抱く。関ヶ原合戦で豊臣方の総大将となったため、徳川家康が天下を取ると、あやうく何もかもなくすところでした。しかし、かろうじて周防・長門二カ国36万9千石を保つことができましたが、中国八カ国、112万石の大大名が、遺言を守らなかったため領国は減少してしまいました。

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