まだ見ぬ福祉機器への期待
・・・“あべこべの真実”?・・・

都市経営コンサルタント
元 島 祥 次

■ 私の体験から
 昨年4月、実母が89才で他界した。自ら転んで大腿骨にひびが入り、整形外科へ入院。歩けないまま退院し、老人保健施設へ入所。  最後は、病院で喉に血痰等が詰まり呼吸困難で亡くなった。その6ヵ月間、一日二回の訪問を続けたのだが、好転することはなかった。 母は3年前から高度難聴にも見舞われ、「生きていても何の役にも立たないのに、早く死ねないものかねえ」と言うのが口癖になっていた。点滴の針をはずして、退院を命じられる顛末もあった。以前、在宅介護中に、三回、風呂場、玄関、床の間に頭をぶつけ、多量の出血をみたが、アイスノンで冷やすと不思議にとまり、平常に戻った。
 妻は変形性股関節症で両足を手術しており、“下の世話”など在宅介護にも限界があった。

 もしも、高度補聴器があったら、立体式手摺りが設置できたら、点滴代替器材があったら、有効な褥瘡防止装置があったら、排便・排尿の処理を簡素化できたら、母の死を急ぐ気持ちを解消できたら、医者が状況を的確に説明したくれたら、介護ロボットがいたら・・・すべてあとの祭りである。せめて、後悔をあすへの提言に変えることができればと思い、筆を執った。         

■ 新しい福祉施策のキーワード
 これからの福祉施策には、三つのキーワードを念頭に置き、対応してほしい。
 第一は、“インディヴィジャライゼーション”である。
 障害者・高齢者などを特別視しないで、普通の人と一緒に暮らせる社会づくり、所謂“ノーマライゼーション”が必要なことは言をまたないが、それと同時に、あるいはそれ以上に、個人個人の状況に対応したきめこまかな措置を重視する社会づくり“インディヴィジャライゼーション”を力説したい。
 福祉機器でいえば、性別、年齢、障害度、趣向等に応じ多様なメニューを用意し、提供することである。製造者も量産企業型から個別対応企業型への変革を要する。ステレオタイプの押しつけだけはやめてほしい。(鉄パイブのベッドは典型)
 第二は、“フレッキシビリティ”である。
 第一のキーワードの延長線上にある考え方であるが、さらに、個々人の状況変化にも対応できる柔軟な対策をとるべきである。
 福祉機器でいえば、多変動・多目的車椅子、多変動ベッド、デジタル補聴器、自在式手摺り、食器メニューの多様化などがある。体格に合わせられるイージーオーダー型が望まれる。(一部、開発・実用化されつつあるが)ただし、ベッドの周辺に機能を持たせすぎ、より高く売ろうとするような業者の姿勢は、注意を要する。

 第三は、“デザインアップ”と“遊び心”である。
 福祉施設・設備・器材の形・色・素材、環境音、匂い、接触物などを、安らぎ、潤い、美しさ、楽しさ、機能性から再評価し、デザインの見直しに取り組んでほしい。
 音に関しては「サウンドデザイン」、接触に関しては「タッチデザイン」の研究が進んでいるし、やがて匂いの分野にも「スメルデザイン」が登場してくるだろう。
 保健・福祉・医療の施設につきまとう独特の匂い、空気に別れを告げたい。
 さらに、一歩進んでに“遊び心”を感じさせる施設・設備・器材を求めたい。ホテル様式、可変シャデリア、動植物型ソファー、ゲーム機器など。

 以上の提言には費用負担と効率の問題が残る。ここで検討はしないが、基本的には真の幸福社会の先行投資と考え、事前に公私で応分の負担をする仕組みをつくるべきであろう。  

■ “あべこべの真実”・・・若干の具体案
 思いつくままに、若干の福祉機器類のアイデアを綴ってみた。既に開発され、実用化されているものもあろうが、お許し願いたい。
a.かぶせる寝巻
 介護者には、衣服の着替えが大変。そこで、背側と腹側にセパレートされた生地を肩・腕のマジックテープでとめる寝巻を。着せる発想から“かぶせる”発想で・・・
b.家庭用折畳み式移動浴槽
 ビニールシートで周囲を囲み、中に低い長椅子をセット。ホースで湯を入れ、洗体。終了後はホースで水を流す。“動くお風呂”か。
c.安眠音楽テープ
 安眠には、音楽が不可欠。それには、プチトマトのよく育つ環境音楽「雅楽」や悠長な琴・尺八のテープを聴かせる。刺激を与えた方がいい場合は、16ビートのジャズを。一律のBGMから個人別テープへの転換を。
d.脱げないスリッパ
 既製のスリッパは、脱げやすく、危険でもある。そこで、スリッパの内部に鼻緒をつけ、脱げにくくする。さらに、足の形にサイズを合わせられるようにできると快適である。
e.立体式自在手摺り
 寝室から便所・食堂・浴室になるべく直線的に行けるよう立体式で可変動・高さ調節可の手摺りを左右にセットする。なるべく歩行を続けさせる訓練にもなる。
f.お好み食器
 施設の食器、スプーン、箸などを使い易さと好みによって選択させる。多少費用はかかるが、食事の時間が楽しくなる。
g.多変動・多目的車椅子、多変動ベッド等
 既に、かなりの製品化が実用化されている。ベッドの大きさ、デザイン、素材には工夫の余地があろう。
h.すべる廊下
 廊下はすべらないほうが良いとするのが一般的であるが、手摺りを使う対象者にとってはすべる方がスムースだという意見もある。中央部をすべらない廊下、両側をすべる廊下にする方法もある。
i.メルヘン・ベンチ
 座って楽しい、触って心地よいメルヘンチックなベンチの導入を。動物や植物の形・色を取り入れてはどうか。

* 有効な褥瘡防止装置や便器付ベッドの話は聴いていたが、入手出来なかった。

 以上、既成概念にとらわれない、あべこべの発想や裏返しの発想から費用にこだわらず提案した。案外“あべこべの中に真実”があるかもしれないので。

■ “死生学”のすすめ         
 「日本は死については実に豊かな国だった。昔の日本人は死については大家だった」(竹山道雄「死について」)という。
 だが、現在の日本人は「死」をあまりにも他人事にしてしまった。「美しく死のう」という真摯な姿勢もなければ、「おごそかに死を看取ろう」という心構えもない。幸福の堕落、核家族化の悲喜劇であろう。
死を見詰め、死と対峙することは、生を見詰め、生と対峙することなのだ。人間としてすぐれた生き方をするためには、死の現実をしかと見定めねばならない。輪廻転生を肯定するか否かを別にして・・・ そのため、生涯学習の一環として正しい死生観を体得する必要がある。特に、学校教育の初等プログラムから「死生学カリキュラム」に組み込むべきである。
 さらに、死の時期、場所、方法等を柔軟に選択できるシステムをもつ“インディヴィジャライゼーション”社会も検討されていいのではないか。尊厳死協会は、その先駆者だろう。

 福祉機器のあり方だけを論ずるのは、皮相的乃至局所的ではあるまいか。