『大人のための初めてのピアノ』を受講して

松屋産業株式会社
代表取締役 松塚 展門

■ はじめに

 運良く抽選に当たったので、この講座に参加できた。1996年は元旦から気合いが入っていた。今年こそは、『ピアノが弾けるようになる。』これが目標であった。それも、何がなんでも、『エリーゼの為に』を弾けるようになる、と言うのが詳細な目標であった。

■ 『ネコふんじゃった』

 私も『ネコふんじゃった』くらいは弾けた。しかし、『エリーゼの為に』を弾けるようになるためには、まじめに、真剣に練習に励まなければならないと思い独学に入った。
 独学はそれなりに意義があると思う。しかし、私は約30年の古典ギター演奏の経験があり、独学に加え、レベルにあった、適切なアドバイスがタイムリーに必要であることを痛感していたので、この講座への参加は有意義であった。

■ 『ネコふんじゃった』からの脱出

 10回の講座のうち8回出席出来た。当初は、もっと出席率が悪くなるかと思っていたが。『ネコふんじゃった』からの脱出が私自身への至上命令であり、厳しくスケジュール管理をしたので出席についてはまずまずであった。しかし、残念なことが一つある。それは、ちょうど私が休んでいたとき講座の参加者の記念写真が撮られてしまったことである。だだ、これは諦めた。それは、『ネコふんじゃった』からの脱出には関係ないからである。

■ 中経過

 所詮、自分の強い信念がなければ、何事も目標達成はあり得ない。強い意志がが存在していれば問題意識が強くわいてくる。分からないところは先生に聞き、両手の指使いがはっきりすれば、後は自分の努力と才能次第である。
 それでも多少の不安はあった。左右の手が自由自在に動いている、ピアニストの姿を見ても、いや我が子達の、それなりの、ピアノ演奏を見ても、それは私には全く縁遠いものだと考えていた時代が長かったからである。しかし、ピアノ演奏が次第に身近なものへと変化し始めた。
 なにも音楽の専門家になるわけではない、と思いつつもやはり、つらい日々が続きそうになったが、今の私にはある信念があったので、ただひたすら、1小節と言う単位の達成の繰り返しに、没頭した。

■ 独断と偏見に満ちた信念『脱‘脱力』

 ピアノが弾けると言うことは、とりもなおさず、脳にその演奏する回路が形成されると言うことにほかならないと言うことが、私の信念の大きな前提になっている。
 そのためには、脳細胞への良い、正しい刺激を『繰り返し、繰り返し』与え続けることが重要である。しかもその刺激は、一回当たり弱いものよりは、強いものの方が良いと考えた。そこで、独断と偏見に満ちた信念『脱‘脱力』すなわち徹底的に力を込めて指を動かす奏法が誕生した。

■ 先生からの強力なアドバイス『歌いながら弾け』

 今回の講座における、私の『脳内革命』は『歌いながら弾け』とおっしゃた、先生からの強力なアドバイスによって発生した。
 ピアノが弾けるようになるためには、脳に、いかに強い刺激を与え続けるかと言うことこそが、最も重要であるという、私の仮説に立つならば、『脱‘脱力』と『歌いながら弾け』と言うことが一帯になれば、さらに強い脳への刺激になり鬼に金棒となった。

■ おわりに

 私の趣味は『ピアノ演奏』です、と言える今日を迎えた。当然『エリーゼの為に』は何とか弾けるようになった。もちろん私の個人的な自己満足ではあるが・・・、一年前にはとても考えられないことであった。老婆心ながらつけ加えておくが。曲がだんだん弾けるようになってくると、自然に脳は『脱力』の回路にシフトして行くようである。
 多くのクラスメートと共に学習することから遠ざかっていた、私にとって、今回の『生涯学習公開講座』は大変有意義であった。このような講座が、今後の地域社会にとって極めて大切だと痛感すると同時に、我々を根気強く指導して下さった先生を始め関係の皆様方に感謝し、まとめとする。


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