夢の実現
『元気企業家ねっとわーく』


松屋産業株式会社
代表取締役 松塚 展門

■ プロローグ

 最近趣味が増えた。ヴァイオリン、チェンバロをいつかは弾けるようになってみたいと思っていたが、こんなにも早くその時期が来ようとは思ってもみなかった。(もっとも、チェンバロはシンセサイザーでの疑似音源である。)
 それには訳がある・・・。

■ 右脳と左脳を覗く

 国家が定める創造的中小企業に我が社も認定された。ありがたいことである。創造的中小企業とは実によく考えられた表現である。我が国の法律の表題の中で『創造』と言う文字が使用されたのは今回が初めてとも聞いた。
 私見ではあるが、創造的中小企業とは創造的人間を中心に形成された人間の集団である。であるならば、創造的人間の認定もなされても良いように思う。
 しかし、創造的であることの評価はなかなか難しい。それこそ、大脳とりわけ右脳や左脳を自由に覗くことが出来れば、なにかのヒントになるかもしれない。

■ 思考とは

 右脳左脳の話題が出たので、常日頃私が考えていることを紹介しておく。長い中国や日本の漢字文化の中では、おそらく同じ考えの人がたくさんおられたことと思う。
 この文章でも私は『考え』と『思う』を使い分けた。この『思う』というのは、主として右脳の支配下による脳の活動だと言われている。もっとも昔の人々にとって、右脳という概念があったかどうかは、定かではない。しかし、次に述べる、『考える』とは違った、脳の活動として、とらえられていたことだけは確かである。
 『考える』とは左脳の支配下による脳の活動だと言える。通常言語中枢が左脳にあり言語による理論的活動がなされていると考えられている。すなわち、『思考』とは『思う』ことと『考える』ことの両方であり、大脳の全てをよく使った人間の知的活動と言える。

■ 利用度

 よく大脳はほんの少ししか使われていないと言われている。このことは今後解明されてくることであろうが、まだまだ余力が残されているかと思えば、なんと夢の有ることかと、うれしく思う。
 物質が心を造り、心が物質を生んでいる。こういう表現が今日ではあたりまえになり、ほのかなロマンと脳の神秘性が失われたと言う意見もある。しかし、事実は事実である。心を造る物質のことをよく調べ、その効率を上げるべく努力をする必要性が今生じていると言っても過言でない。脳の利用度がもしかしたら向上する術がどこかに隠されているかもしれない。

■ 基礎能力増進者

 世に言う高齢化社会の到来は、様々な現象を生んでいる。 我が社は現在世界に誇れる福祉機器(車椅子用段差解消機、写真1参照)を開発し販売ている。一般に65才以上を高齢者と呼んでいる様だが、この表現には疑問を感じる。福祉とか、介護に関わる事柄を中心にしてとらえる時には、むしろ、『基礎能力減退者』とでも表現すべきと思う。しかしこれが、差別用語の範疇に入ると大変失礼なことになるので、良い表現が有ればご指導を頂きたい。
 ここで言う、『基礎能力減退者』とは当然年齢には関係ないことになる。若くして『基礎能力減退者』になられた方々にも手厚い福祉と介護は必要である。
 当然のことながら反対に『基礎能力増進者』とでも表現すべき方々の存在も事実であり、これも年齢に関係ない。もしかしたら、創造的人間はこのような人々の中に見いだせるのかもしれない。

■ 脳の冴えと、疲れ

 物質が心をつくっている。これが事実とすれば様々な推論が出来る。物質のおかれている状態が人間の一生を通じて一定で有ろうはずはない。ミクロ的に見れば、時事刻々と変化していると言った方が妥当である。 
 よい心を生み出している物質のコンディションを冴えているコンディションと呼び、良くない心を生み出している物質のコンディションを疲れているコンディションと呼ぶことにする。ここで、その表現は特に関係ない。物質が心をつくっている、と言う仮定だけが大切なのである。
 両コンディションの比較研究は今後の重要な課題と考えている。科学のメスが創造性を発揮する大脳に入れられようとしている。ここが人類最後のフロンティアとも言われている。手軽に脳の冴えと、疲れを計りたい。私は真剣にそう思った。そして、思えば実現した。

 『遊』

 突然何を言い出すかと思われるかもしれないが、『遊』がなかったら人間の存在はあり得ない。ここで示す『遊』は、読者の方々のまさに自由な発想での『遊』でけっこうである。
 創造的な活動を求めれば求めるほど、そして創造的な成果を求めればなおさら、『遊』は重要な要因になってくる。こだわらない捕らわれない自由な発想は、あたかも大地を駆けめぐる子どもたちの動きのようである。
 大脳前頭連合野とこの周辺のA10 神経においては、オートレセプターを欠き拘束されない自由なニューロンが存在しているという。これが人間の創造の原点である。

■ 『理』

 スペースシャトル打ち上げのロケットには巨大なブースターが付いている。ブースターがなければスペースシャトルは人工衛星になれない。先に『遊』が人間の創造の原点であると述べた。グローバルな座標系の中で、どこにローカル座標系の原点を置くかが重要である。問題解決に最もふさわしいローカル座標系の原点があるはずである。
 『理』が十分に伴わない『遊』はブースターの弱いスペースシャトルであり、ポテンシャルの低い所に原点を設けたローカル座標系と同一である。
 我が社は『遊』と『理』の両方を大切にしている。この両者を大切にして『遊と理』つまり『ゆとり』を実現しようとしている。
 ちなみに、『遊と理』は私の造語である。言語学的に正しいかどうか、そんなことはどうでもいいのである。ついでに紹介しておこう、『客考』これも私の造語である。私の経営方針の根幹であるが、解釈をつける紙面がないのが残念である。

■ エピローグ

 右脳と左脳、使えば使うほど鍛えられ、余力も十分だそうである。また、人間、脳で考えた通りの人間になると言われている。
 ヴァイオリン、チェンバロ、必ず弾けると思って1小節ずつ練習に励んだ。私の右脳と左脳が左手と右手をそれぞれコントロールし美しい曲を奏でている。実に人間はすばらしい。出来ると思ったとき、出来ていると言っても過言でない。
 『元気』とはこんな人間元々の『気』である。
 これが訳である・・・。


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